自分の役割が組織集団的成果にとって欠かせない?

こんにちは、komeshogunです。

お正月はいかがお過ごしでしたか?最近は喪中続きだったのですが、今年は久しぶりに行きたい神社にたくさんいけて、素敵なお正月になりました。神社巡りをすると、新年を迎えたなあという気持ちになって良いですね。

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今回は、図書館で借りた本です。前作が面白かったので、期待していましたが、今回も面白かったです。本当は、全部を1回で書こうかと思っていましたが、読み切る前に連想しことがあり、先に書きたくなりました。いつもどおり、まとまりはありません。



P.190 誰もが考える頭を持っているのだから、組織に属する全員が自分で考え、役割を実行するように奨励されるべきなのだ

このページ、この一文を読んで「やっぱりそうだったんだな」と合点がいきました。いちいち、この箱シリーズは私のモヤモヤをいい感じで文字にしてくれるので嬉しいです。手元に置いておきたくなるので、例により、ポチりました。このページにはこうも書かれています。

P.190 従業員は達成すべきことや達成方法を指示しないと動けないという前提に立った意見だ。これはまさに「考える人」と「実行する人」の区別である。

こちらの分もあわせて、まさに最近の私の「今までの組織と何が違うんだろう」の答えに沿っている。今までは、自由にやらせてもらえていた。勝手にやっていたわけではなく、やるときは相談し、上司と合意と納得のプロセスを経て、チャレンジしていた。あなたにはこういう役割を期待している、と言われるところから、このプロセスは始まる。もっというと、この前段として、部内において、このチームにはこういうミッションがある、と伝えられていた。部門、チーム、個人と、ブレイクダウンされていた。だから、自分が期待されているであろうことを理解し、それを満たすための行動を考えることもできた。自分のチームに対してどうすれば貢献できるか、それが部門の貢献につながっているかを考えることが出来た。まさに前に書いたことも思い出している。

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ところが、だ。言われたことだけをやっておけばいい、そんな組織のように感じていた。今では、感じてしまっていたと表現したほうがよいかもしれない。言い訳をするならば、感じてしまっても仕方がないような雰囲気があり、感じる機会が全くなかったのだ。それなら、そう感じてしまっても仕方がない。完全なるいいわけです。

しかし、最近はまたちょっと違う考えになっている。「勝手にやっちまえばいい組織なんだ」という考えになっている。期待を伝えたり、指示もされたりしないが、否定もされないし、やめろとも言われない。良いようにいえば、徹底的に委ねれている。悪いようにいえば、完全に放置、無関心なんだ。今までなら、勝手にやると例え良いことであっても、なにそれ?くらいの反応はされた。だから、やる前にネゴる、一言言っておくということがあった。言っても別にそれ以上の説明は求められないし、やめろと言われるわけじゃないんだけど、「教えてといてよ」くらいの感覚で聞かれていた。

それすら今はしていない。今までのノリで、いちおう言っとくか、で言ってみたらとにかく説明がめんどくさかった。で、結局やめろ的なレスだったが、やめなかった。勝手に始めた。でも、とくに何も言われないので、別に良かったんだと判断して、今に至る。コレに倣って、なんでもそうすることにしている。(もちろん、なんでもかんても勝手にやっているわけではなく、メンバーとは合意と納得のプロセスは経ている)

この考えを持って、面談やら部会やらの意義を考え直すと、結構合点がいく。本には、こうも書かれていた。

P.175 組織に属する人々の大半が、自分たちは独立した別々の役割を担っていると感じている場合も多い。そういう人たちは、自分の役割が組織集団的成果にとって欠かせないものであることを自覚していないのだ。組織自体が明確に目標を打ち出していない場合もある。

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